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変化を認識する時なんですって。

歌手松浦亜弥(19)の初主演映画「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」が17日開幕のカンヌ国際映画祭のフィルムマーケットに出品されることが14日、発表された。っておい!
ため息しかでないわい。この国の文化というやつは一体どこまでふざけているのか。
こんな映画にどれほどの金がつぎこまれているのやら。日本のメジャーというフィールドはホントただのマネーゲームにすぎないんだなあどこまでも。それでもテレビとかメディアをにぎわしていると「立派」なものとして君臨する。それをなにも考えずに鵜呑みにする人がまだまだ多いということなんだろうか。ただのゲームの駒がアーティストと讃えられるあほらしさにまだきづこうとしない。まじめに考えてモノづくりをしているのが馬鹿をみる。
世の中こんなんだから、この国で立派になるには「マネーゲームを制すればいいんでしょう」というホリエモンみたいのも当然でてくるわな。彼等を輩出した責任は「マネーを制したものだけが勝利者だ」という仕組みを作り上げてしまった団塊の世代にある。この国の未来のために、子供達のために、とガムシャラにがんばって国を発展させてきた方々の御尽力には感謝しているし、尊敬もいたすが、こんな弊害が気付かないうちにはびこってしまった。
そこに善いも悪いもなく、ただもう役割は終わりを告げたのだと想う。立派を否定するつもりではなく、その当時はその考え方が正しかった。そういう時代があったのだというだけなのだ。そうやって死と再生を繰り返し続いていく。お金がイコール幸せの時代じゃないんです、もう。豊かさの価値が変わってしまったんです。オウム事件、ライブドア事件、自殺の急増、、、総括することもなく社会が産んだ歪みは圧倒的に噴き出し、結果的に(時には逆説的にでも)人々の声なき声を代弁し、時代は流れていく。冷静に認識しましょうよと想う。ひとつの価値にしがみつくことが一番恐いことなんだ。変化こそがこの世の絶対と想う。
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by muddyfrankenstein | 2006-05-16 05:49 | everyday people

とてつもなくむずかしい!

嫁が一昨年前、財団法人演劇人会議にて
女性初の最優秀演出家賞を獲った最大の理由は、
御大・鈴木忠志氏の一言
「彼女はあの若さで狂気というものを知っている」
ということだったとおもう。
社会というものに適合できず、しいたげられ、
底の底にいてもなお人間は、ゆがんでもなお人間は、
どうしてもはみだしてしまうどうしようもない生き物だと
認識できているということだとおもう。
二人が一緒になれたのも、そのどうしようもなさを残酷なまでに自己認識し、あきらめの上に希望をのせて未来を一緒に眺められるとお互い認識できたからだ。
いわば社会的にはキチガイ同士の結婚だった。

地元の有力者である嫁の両親は賞を取ってしまったからには、
新進気鋭のゲージツ家として今がチャンスと後援会を結成し
ご近所、役所まで巻き込んで公演の助力を多大にしてくださる。
これまでに市民会館、地元の神社、街興しのイベント等、
派手に興行を打って成功させてきた。
親として心底ありがたいし、親ならそうするであろう協力をおしまず
、感謝しかない程御尽力くださった。土下座しても足りない程だ。
そこまでは大変ありがたいのであるが、、、、、

なにせ我々ふたりの真骨頂は「狂気」なのである。
極限の状況の住人にしか かもしだせない人間の幅を描くのだから
あるときには「反社会的」ですら平気であるのである。
うすうすは誰もが感じているであろう気配のような人間というものの正体をはっきりみたい。
我々の正体はヒトデナシ前提なのである。
そこに「人間万歳」を見たい夫婦なのである。

これは困った。
やればやるほどお互いに「理解できぬ」のである。
「人間の果て」を描くのに「わかりやすく」は介入できぬのである。
複雑の果てにあるものを、人間をじーっくり認識したうえでしか描けないものを
表現しているのである。
テレビなんぞのメディアにそうそう出てくる安いテーマではないのである。
たったひとつでも注文があればもろくくずれてしまうもろいものである。
「精神的顕微鏡の実験」とでもいうべき微妙さなのである。

そろそろ、そのひずみが露呈してきた。
取り組むには大きすぎる、あるいは成立があやぶまれるところまできている。
この先もどんどん距離はひらいていくだろう。
どう立ち向かえばよいのか?
「わかりやすく」と口で言えるほどわかりやすいものではない「人間」を
どうわかりやすくすればよいものか?
このポイントをポップに変換できてクリア出来た時
我々夫婦は本当の幸せをつかめるのだろうなあ。
それにしても大変。テーマがでかすぎる。
せめてこの苦悩くらいは伝わってほしい。
しかし、やりがいのある人生だ!難題に心から感謝です。
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by muddyfrankenstein | 2006-05-11 02:55

まあ、いいさ、ゴッホにだって祝祭はなかったさ。死んでからでもいいですよ。

あたしは、このブログでも掲示板でも「作品」として書き込んでいる。
ちょっとした報告ですらだ。
日々感じた事、想った事を現象として「作品」に刻み込んでいる。
勿論、個人攻撃がしたいがために書き込むほど悪趣味ではありません。
あくまで「現象」として「作品」に反映して啓蒙しているにすぎないのです。
そのやりかたは小説家が作品を描くのとおなじことだとおもっています。
たとえば小川国夫先生の小説に、似たような人物が描かれたとしても
それはあくまで表現したいものを「創作」する範疇であり、
その作品に対して
「そこに書かれているのは自分のようなのでちょっと直してもらえませんか?」
などという人はいるわけがない。一字一句直せるわけがない。
そんなでたらめが通じるような、冗談で作品を書いている人はいないはずだ。
だがあたしの書くものはそういう注文が入る。
世の中はかくもテレビなんかのメジャーなフィールドで活動しなければ
価値も、才能もなく、敬意をもつようなものではないといわんばかりか。
こちらから見ればただのビジネスの駒にすぎないバカ人形にしかみえないものを
未だにチヤホヤするばかり。
体制というご立派なものに適合できず、はじきだされ、人間を見つめてきた
ものでしか表現できないものを個人の都合で削除される。
人間というものの恐ろしさ、悲しさ、あるいは狂気、、、
体制を築き上げてきた立派な方はうっかり見逃してしまうところがある。
おそらく理解できないというよりも、理解したくないところなんだろうとおもう。
失格の烙印を押されたものも、どうしても適応できないものも
同じ人間として生きているという事をしってほしい。
そういうとてつもない「幅」を持っているのが人間だとおもう。
そしてその力が新たな創作を産み時代を作る事だってあるという事を認識していただきたい。
底をしっているからこそ、恩、人情、ありがたみは人一倍わかっているつもりです。
個人がどうのなんて小さい事なんかを考えている人間だとはおもってほしくない。
こんな人間だからこその、誰も気付かない、誰もいわないことをあえてとりあげ、
人類の未来を見据えたうえで、人間というものを描き、暴きだしていきたい!
と本気で考えている表現者がいるということを認識していただきたいだけです。
偉い先生には絶対いわない事が、無名の人間には軽くいわれ,
せっかく産まれたかわいい子供が、あっと言う間に死んでいなくなる。
さびしさばかりの人生だ。
不理解という暴力は生きている人間だって死においやる恐ろしい破壊力があるという事実をしったほうがいいとおもいます。
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by muddyfrankenstein | 2006-05-11 00:29 | everyday people